Wednesday, March 30, 2011

TULIP WATER 1

A Flower Will Bloom in Your Garden.


それでも、わたしは毎日シャワーを浴びている
いま世界はひっくりかえってしまったというのに...
それでも、毎日こうしてシャワーを浴びているんだ

毎夜悪夢と寝汗とで、干からびた身体に潤いを与え

自分ではどうすることもできない皮膚バリア機能を補うために
保護膜をつくるために、保湿クリームと傷口を塞ぐ薬を塗る

そうして、やっと人間らしき生物になって1日が始まる
今日もそうして、1日が始められたことに感謝する
ありがとう そう唱えて朝陽にむかって祈る

そうして、やっと今日も人間になることを許される
命をつなぐ水、乾いた心と身体に潤いと力を与えてくれる水...


TULIP WATER 1 

アトピースキンケア治療と言えば、健全な(?)衣食住とストレス対策など
言い出せばきりがないほどあるけれど、基本的には、毎日肌を清浄し
清潔を保ち、
薬または保湿クリームを塗って肌の乾燥や防いで、傷を保護して治す
ことである。
これは病院に入院してする治療ともまったく同じで、入院しても毎日決まった時間に
シャワーを浴びて全身に薬を塗られる、時にはガーゼや布をあてられ包帯で巻かれる、
そんなもんなのであるが、いかに肌の清潔を保つことが大事か?=シャワーを浴びることが
大事か?シャワーを浴びることができなくなると、それはアトピーさんには命取りだったりするわけで..

だから、日本が、世界が、ひっくりかえろうとも、もう取り返しがつかないギリギリのところまで
来てしまっていても、私もギリギリだったので、余震が来るのも覚悟して、毎朝起きるとまず
全身から舞落ちる麟粉をはらい、まずはシャワーを浴びて目覚め、保湿クリームを全身に塗り
やっとどうにか、干物が水にもどるように、人間らしき生物になって朝が始まり、窓を開け、太陽を
確認し、スズメや鳥の声に耳を澄まし、ようやく、祈ることができる。

それが3.11以降の朝の儀式になった。

地震以降、まずはじまったトイレットペーパーの買い占め。
我が家はたまたま生活クラブから届いたばかりだったので、
買い占めることも不足することもなく事なきをえた。

トイレットペーパーがなくなったら、アフリカ式に『水』でいいんじゃないの?
アフリカなんかそもそもトイレットペーパーなんてないし、
あの塩化ビニール製のカラフルなヤカンに入った水で、手で洗う方式、
まさにお手洗いな、『水』でいいじゃん!なんて、
(私はそんな暮らしを経験したことだってあるから大丈夫よ!と、)
軽口を聞いたが、それも『水』あってのことだよなぁ...少し気になりはじめていたんだ。

トイレットペーパー同様、東京でも一時期、
生理ナプキン等生理用品がドラッグストアから消えたそうだ。
そういえば、家の隣のコインパーキングから、「ナプキンがなかったから
タンポン買ってきたわー」なんて大きな声で話してる女性の声も聞こえてきて、
あ、ほんとにナプキンも買い占められてるんだなと知った。

被災地からの不足している救援物資情報にも生理ナプキンというのもあったし、
Twitterでは、非常用の生理ナプキンの代用として、いらなくなったカットソーなどの袖口を
再利用して簡易布ナプキンにする作り方ツイートがタイムラインに並んでいた。
So, 奇しくも地震はスーパーフルムーン前の週、地球も女性だというけれど、
ならばあの地震はPMS?それともスーパーへヴィーデー??
あの頃、生理前後だった女性は多かったはずだ。
地震後の満月に向かう1週間は、まさに私もPMSからムーンタイムになって、
より全身を清浄しなくてはならない日々だった。
毎朝、不安と緊張と寝不足とでぼーっとした頭と身体を起こすように、
熱めの湯を流しかけている、湯水のごとくとはこのことだなぁ、、
こんな日をいつまで続けられるんだろうか?と、
人生初の非常事態に、直感が、本能が、もうすでに気がついていたんだ。

この不安と緊張感の中、生理がくる。
アトピーが少し悪化する、デリケートゾーン(自律神経エリア、わきの下、ソケイ部、外陰部、等々)
が痒くなったり、変な汗をかいたりして、さらに肌が敏感になる。いつも通りに布ナプキンを使う。
というか、もう下着もそうだけど、オーガニックコットンの布ナプキンしか使えない身体になっている。

布ナプキンを洗うにはたくさんの水を使う。
経血は、血液なので水でしか落ちない、バケツに貯めた水で
まずはつけおいて、それから無添加せっけんなどで洗うのが
布ナプキンの洗濯だ。経血が流れた水を大地にかえすというのが
エコロハススタイルだけれど、そんなにたくさん流せる大地があるわけでもなく
せっけんで洗い流した水は、大地(といっても庭)には流せない。
とにかく水をたくさん使って洗濯をしなくてはならないのが、布ナプキンの特徴でもあり
弱点なのかも知れない。毎月、つけおきしたバケツの水をじゃぶじゃぶと流して我から
はがれおちた経血を洗い流すたびに、思い出す友人の言葉がある。

「布ナプキンは、水のないところでは使えないんだよ。」

そう教えてくれたのは、アリゾナの居留地でネイティブアメリカンのダンナさまと
暮らしていた友達だった。彼女もアトピー体質、日本では有機木綿の手つむぎなども
していた人だ、布ナプキンの心地よさだって熟知しているだろう。
そんな彼女のその一言(パンチ)は、効いた。今でもずっと忘れられない。
きっと、彼女にしたらそれがアリゾナでの常識だから、
何気なく言ってくれたに会話だったのだろうけど、
その一言が、なぜか私には忘れられなかった。

たしか、アースデーで偶然会ったときのことだ、
布ナプキンブームが来ていた、売ってるお店も多かった。
私もちょうど、使い捨てナプキンから布ナプキンに切り替えて
1年ぐらい経っていたころだろうか?人に布ナプキンを薦めたりもしていた。
ゴミにはならないし、エコでロハスではあるけれど、それは蛇口をひねれば
出てきてくれる安全な「水」あってこその話だ。たしかに布ナプキンは快適だけれど...
それを知っていても使えない場所だってあるのだ。この心地よい暮らしは「水」や
ライフラインがそろってこそ、成り立ってるわけで、そんな状況が当たり前ではないことが
世界には、地球上にはまだまだたくさんあるのだということを思い知らされた。
思い出させられたというのか?

地震直後の生理、そして、布ナプキンの洗濯と日々の
スキンケアのためシャワー何もできなかったけど、「水」を使うたびに
この水は...(いつまで大丈夫なのだろう??)
言葉にならない不安のようなものが浮かび始めていたんだ。













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