Sunday, May 22, 2011

風が吹くとき




西の黄色いバラが散り、東に白いバラが咲く

まだ世界は終わらないんだと、花が知らせてくれる

雨がふっても、風がふいても、月が赤く輝いても

まだ世界は終わらないんだと、花が知らせてくれるんだ



Wednesday, May 18, 2011

無花果

スーパーの売れ残り見切り品で見つけた立派なイチジク。
クローヴ、カルダモン、シナモン、ドライレモンピール、
スパイスを効かせて、オーガニック赤ワインでコンポートに。
可能性は未知数 初体験の味は甘く官能的だった。



Dear all my friends

もうもどれない世界がひっくり返って2カ月 いろんな意味で風薫る5月
誕生日のお祝いメッセージや心こもった贈り物どうもありがとうございました。
奇しくも4月8日は311から4週間後、そろそろ大きな余震が..と、どんな人でも
その動物的本能でそれを予感していた頃のことでした。
41回目という、途方にくれそうな年齢を迎える前夜は、明日を楽しみに
不安は睡眠薬にして、40歳最後の寝床につきました。
枕元に置いた宇宙柄の非常用持ち出しリュックには
キャンディーとキャラメル、セージとエルドナックス(キャンドルジュンさんのお店)のキャンドル
地球のレッスンと、2日早く届いたN家からのプレゼントと夢と希望を詰め込んでありました。
リーボックの真っ赤なポンプスニーカーも置いてあります。これを履いて逃げ切るためです。
まるで、クリスマスイヴの夜の子供ような寝床の周りでした。

311以降熟睡できたことはありません。寝汗と悪夢の日々。
無情に鳴り響くのは、iPhoneのゆれくるアプリのサイレン。
この音が鳴るたびに心臓がドキドキするのに、このアプリをはずすことができずにいます。

4月7日日付が変わる20分ぐらい前に、やっぱり鳴りました。
鳴っても揺れないこともあったし、寝がえりを打つのも面倒だったので
何事もなかったように明日を迎えたかったので、鳴っても鳴っても
無視していたら、、揺れ始めました。

揺れはどんどん大きくなっていって、
揺れるたびに1週間づつフラッシュバックしていきました。
揺れもどし、揺れ返し、311以降最大の余震でした。
東京の震度は4だったでしょうか?
私は寝床から起き上がることもできません。テレビもラジオもつけず
やり過ごしていました。東北ではまた被害がでました。

明けて、4月8日ははっきり言って、気持ちのいい天気ではなく
不気味な曇り空で、お世辞にもいい日とは言えない感じでした。
それでも、私は、自分の誕生日をツイッターでアピールして、
みんなに祝ってもらおうとしていました。何か自分が変われる
きっかけがほしかった。ドラマティックで運命的なきっかけを
心のどこかで期待していたんだろうと思います。
みんなからのお祝いされるのを待っていました。
ある人からのメッセージが貰えるものと待っていました。

家族の誕生日や記念日に新宿の伊勢丹でケーキを買うのが
父の楽しみなのですが、今回は卵、乳、小麦抜き中のため、
やんわり母を通じて断りました。こんな日ぐらい、ありがたく
父の気持ちを受け取ればいいのに..それができない。

そういえば、卵と乳製品は、気がつけば無理なく自然に控えられるようになりました。
牛乳に至ってはまったく飲まなくなりました。こんな感じで小麦も抜ければいいのに、
私のパン好き、パンケーキ好き、粉もの好きは周知の通り。
断食も小麦抜きも、意識的にがんばると無理が生じるんだなと
4月はPMSばかりが長く、PMS特有の数日間の爆発的な食欲の波が
やってくると、パンが食べたくなって食べたくなって、日ごろ我慢していた
理性が決壊するんだなと、やけ食いに走りました。
断食したリバウンドもあったのかも知れない。ずっと食べる量を控えていたからなのかも?

そしたら、生理周期が乱れて戸惑い、あっという間に
よくなっていたと思った脱ステロイドのセカンドリバウンドがはじまりました。
こんどは顔だけじゃなく、首から肩、デコルテの辺りが最強に悪化し、背中から
足っ先までグラデーションして全身に広がっていきました。
まだ1カ月前のことなのに、あまりの悪化の早さに、
よくなっていたときのことを忘れてしまいました。

と、またまた、前置きが長くなりましたが、このブログでも書き続けてる
昨年の白内障手術後、信頼していた皮膚科女医さんの突然の失跡などで
悪化してしまったアトピーに、止む終えず、不本意ながらも使うことになってしまった
ステロイド軟こうを2月にいっぺんに止めたので、今まで抑えられてた症状が爆発しました。

いま、全身が炎症を起こし真っ赤に腫れあがり、かきむしり、皮膚が剥がれおち、
外に出るにも出られない酷い状況です。痛い、痛いと鳴き叫んで、縮こまって、
まるで、自分だけがこの世界に取り残されて辛い思いをしているようなヒロインに
なろうとしています。震災以降、日常を取り戻し、自分の道をまい進している人たちが
羨ましくて羨ましくて、どうして私は...などと、バカなこと言ってます。
働けば身体を壊し、相変わらずだなぁ、、と、社会性もまったくなく、
もうみんなには呆れられてるんじゃないか?と思うと怖いです。

なんだかなぁ、被害妄想なのかもしれません。




風が吹いてきました。



清志郎がカバーズを出す前に、おそらく、初めてステージで
「風に吹かれて」のカバーバージョンを歌ったのは、渋谷公会堂で
行われたライブハウス新宿『LOFT』主催のカバースペシャルライブという
イベントライブでのことだったと思います。ステージが終わりに近づくにつれ
スペシャルゲストが数人登場して、最後の最後に「宇宙一のゲストー!!」と呼ばれて
登場したのが清志郎でした。バックには鈴木慶一もちわきまゆみもジョニーサンダースもいました。

そして、おもむろにはじまった1曲が..

「どこまで~ミサイルが飛んだら~戦争は終わるの~♪」

「その~こたえは~ 風の中さ~ 風が知ってるだけさ~♪」

高校生だった私は、このフレーズにしびれました。
一緒に見に行ったのは、今や日本のパティスミスとも呼ばれてる?
元CSKHKHで、元LOVES 同じ高校のひとつ学年下だったA・Hちゃんでした。
それもなんかすごいんだけど、A・Hちゃんとお母様とRCのライブにも一緒に行ったんだよな。
ま、それは置いておいて、、、

チェルノブイリの爆発があったのが高1の時で、広瀬隆氏の2人の娘さんが在校生だったので
危険な話は、学校のお勧め図書だったし、広瀬氏が体育館で講演もしてくれたので、
原発がどれだけ怖いか?若い感受性で漠然と理解していた。
原子力発電の化学的な仕組みはよくわからなくても、放射能は雲に乗って
地球上に飛んでくること、ヨーロッパの食品はじきに放射能汚染されていくから
絶対に食べないようにすること、おそらく広瀬氏が高校生向けに分かりやすく
説明してくれたその話に食いついた。今も昔もそれだけには過剰に反応していた。

今でこそ、パスタはイタリア産しか食べないとか、チョコレートはフランス産のBIOがお気に入りとか
エヴィアンやペリエ、ゲロルシュタイナーだのヨーロッパの硬水は美味しいなんて言っちゃって、
好んで食べているけれど、当時はもう徹底してヨーロッパから輸入される食べ物に過敏になってた。

原発反対!とアトミックカフェライブで叫んでたけど、
それよりももっと声高に欧州輸入食品反対!エヴィアンなんて絶対飲んじゃダメ!と、
ひとりで不買運動していたようなものだった。そのときもやっぱり家族に嫌がられてたような気がする。

これが私の素地になっているんだろう。
チェルノブイリの後に原発反対!と、
あまり意味もわからないまま、ライブに通っては
拳を振り上げてた。原発反対!戦争反対!
それから間もなくして、タイマーズとカバーズ。

でも、すっかり忘れていたんだ。
原発の怖さも、放射能汚染の怖さも、チェルノブイリも、、

311後はしばらくテレビニュースがみられなかった。
津波の映像も原発のことも、見ない聞かないことにしていた。
とにかく、何か見えないものに対して恐怖でいっぱいだったのだ。
このときは、放射能じゃなくて余震だった。

原発のニュースに目を向けるようになったのは
東京にも飛んできたころだった。今、思えば後の祭り、、
とっくに飛んできていたんだと思う。たいした外出こそしなかったけど
マスクなんてしていなかったよ。そして、決定的だったのが水。

東京都の水道水が汚染されたのが、まさに呼び水になって
私を高校生のときの、チェルノブイリのときのあの記憶が揺り起こされたのかもしれない。

まえがきが長くなりました。

わたしにつながる、友達のみなさまへ
お元気ですか?私は、私の顔は眉毛とまつ毛を失い
目は腫れあがり、小さな目はさらにつぶれ、大きな皺ができ、
鼻の下ケロイド症状もあり、これ悪い冗談ですが、
全身ずるむけの外部被ばくみたいな症状になっております。

散歩したり、オープンカフェでお茶したり、そうこうしてる間も
放射能が降り注いできていることを除けば、素敵な季節になってきました。
旅の話も聞きたいし、地震前と後のみんなの心の変化も聞きたいし、
今、どんなことしてるのか知りたいし、私の話も聞いてほしいのだけれど、
ほんとは、こうしてミイラのようになっていて、心細く誰かと話したくてしかたないのだけれど、
外出が困難なので、こうして手紙(ブログだけど)にします。

東京にいる人は、放射能対策はどうしていますか?

放射能対策とはやりのエコでスローなライフと、脱ステロイドのスキンケアには
共通点がいっぱいあって、頭で考えると敵(放射能)は怖いけど、
対策を練って、考えて防御策を行動することは
辛く苦しいことでもないなぁと私は思っています。

むしろ、日々の生活が丁寧になってきます。
目に見えないから、怖さ百倍だし、逃げられない、いらだちと焦りもあるし、
決して慣れたり、忘れたり、なかったことのようにはしたくないけど、
こうしてまだ東京に居る限り、私にできることってなんだろう?と思って、
これから、ツイッターなどネットで集めた情報と、私が身体を通して試してきたことなど
ピックアップしてまとめてみようかと思います。

いつ、それどころじゃなくなる日がくるかもしれないけれど、
なんとか生きのびられるように、今できることをするしかないから。
でも、決して慣れずに、感受し続けていきたいと、子供の未来のためにも!

続く






































                

                

Monday, May 9, 2011

My life as Atopy 5 沐浴



キッチンに蟻が歩きはじめる メープルシロップ

寝汗でかきむしり 二度寝して もう夢はみない

五月晴れの日曜日 帽子とマスク 万国旗

雨の前には水を汲む 風向きは庭の木と

ドイツの気象庁に教えてもらう

バスタブにたっぷり貯めた(塩素抜きした)水を沸かし

久しぶりに 湯船に沈む 

朝陽に映える 傷だらけの肌  

水面に浮くのは我の皮膚屑 これ以上 何をさらけ出せばいいのか?

あっという間に 悠久インドのガンジス河 

生と死が 湯船にゆらり 宇宙にぶらり 

アゲハ蝶が飛ぶ 麟粉が舞う

右手は箒 左手に塵とり どこまで走ればいいのだろう?

いつまで掃けばいいのだろう?

終わらない 春の大運動会 

レレレのレ~♪







Saturday, May 7, 2011

My life as Atopy 4 春の塵

今日も消しゴムのカスのようなボロボロと、細かい粒子のような麟粉を掃いて一日が始まる。
東京の放射性物質の累積量もやっぱりかなりヤバいらしい。
そんな一覧表がTwitterの時の川に流れてきた。



私から剥がれおちる皮膚の粉は目に見える、これが毎日相当の量なのだ。
お茶がらでまとめて掃いてはいるが、掃いても掃いてもあっという間に溜まっていく。
目に見えない放射性物質だって、きっとそうやって溜まっているんじゃないかと思う。

2月に思い立って始めた脱ステロイド、途中2週間の断食(ほんとに断食したのは中3日)をして、
311が起こり、張りつめた緊張感で一時的にリバウンドは小康状態。これは治っていたのではなく、
あまりの非常事態に身体の機能がストップしてしまっていたんだろう。
こんなに早く脱ステロイドリバウンドが落ち着くはずもないのに、断食明けのハイも手伝って
再生と復興をしたんだ!と勘違いしていた。 

復興の前にしなくてはならないことがあるんだと思う。
福島の子供は逃げろ!親たちはなんとしてでも
子供を県外に疎開なり、なんなり離してあげてくれ!
復興よりも何よりも、今生きている未来ある子供たちを守れ!

何にでも段階と順番があるのだと、身をもって感じている。
今、私の身体に起こっていることが、それを教えてくれてる。

空から放射性物質が飛んできて、
東京都の水道水からもそれは検出されパニックを起こし、
4週間後にやってきた大きな余震でフラッシュバック、
すっかり揺りもどされてしまった脱ステロイドによるリバウンドの
私の今の段階はレベル2-3だろうか?

身体のことは、カレンダーをみながら(生理周期などの予測はついても)
計画通り、日程通りに症状が治っていくものではない。
一進一退を繰り返す。毎晩、寝床に入ると痒みは襲ってくる。
せっかく乾き始めた肌を無意識にかきむしっている。
それでも、昨日より今日、今日より明日と、わずかに変化がある。
悪化する時もあるけど、生きている以上、身体はなんとか治癒しようと
頑張ってくれていることに意識を添わせ、自分にできることをしていく。

今はそれが祈りでもある。


毎日、毎日、壮絶な痒みと痛みとともに剥がれおちる死んだ皮膚の屑を見ていたら、
蛇の脱皮が思い浮かんだ。皮が剥がれおちるごとに、私の中からいらないものも剥がれおちていく。
そうであってほしい。ある人は余震で、揺れるたびに生き方がシンプルになっていくと言った。
いらないものがそぎ落とされていく振り落とされていく感覚だろう、共時性というのか?
同じようなことを感じている人は多いと思う。

今までしがみついていたものが、執着していたものがボロボロと落ちていく、
塵取りに集められる、身から出た皮膚の屑はもうどのぐらい剥がれおちたのだろうか?
少しは体重が減ってるんじゃないか?(笑)と思うほど、毎日毎日その粉は私から剥がれおちる。
どれだけ剥がれおちれば、健康な皮膚になってくれるのだろう?

もう、もとにはもどれないのだと、痛みが教えてくれた。
この痛みの辛さになんどもくじけそうになる。
ここで、またステロイドに手を出したら、元も子もなくなってしまう。
もう、311前のようなエネルギー生活、ケミカル生活にはもどれないんだ。

いや、もどらなくてもいいんだ。

今はまだスタート地点に立つ前だけど、道は見えてる。
生きていれば再生できるのだと信じて、たとえそれが
長い道のりだとしても、地に足をつけて歩いてく。

Sunday, May 1, 2011

TULIP WATER 4 花と水

その後、東京に降る雨と水道水の
放射性物質含有率はどんなものなんだろう? 東京の水道局が検出数値の
基準を変えてから、未検出の表示は
信じてない。以来、数値が高くなることはあっても、低くなることはないだろう。お一人様一本でミネラルウォーターを買えるようになったので、母と
交代で買いに行くのも日課になった。
いつの世も水汲みは女の仕事なのか?

そうかも知れない。
水と女は切り離せない。

最近のTwitterは、読めば読むほど
暗く絶望的な気持ちになるが、
気になるのは、福島の子供たちと
水と空気の汚染による、身体への
影響とそれを防ぐための情報には
目がとまってしまう。

ここ数日で気になったのは
ヨウ素131 は、呼吸と肌からも
吸収され甲状腺に蓄積されると
いう情報。

やっぱり、肌から毒が吸収される
経皮毒は避けられそうもないんだな
嫌な予感は、残念ながら、見当ちがいでもなさそうだ。

これは、情報より何より、
身を以て感じていることだ。
毎日リンパ液が滲み出すずる剝けの肌で、浴びるシャワーがどれだけ痛いか!ここ数日は回復どころか、
悪化している。水を浴びれば浴びるほど肌が痛くなるのだ。
しかし、血と汗と臭うリンパ液が
ベトつく肌をそのままにはしておけないので、シャワーを浴びないわけには
いかない。お一人様一本のミネラルウォーターで身体を洗うことも無理な話しだ。塩素抜きシャワーヘッドは使っているが、どうもこの水の感じが
悪い。