Friday, April 29, 2011

背中のタトゥー

アゲハ蝶とツバメ が飛ぶ
この痛み、我が背に春が来たと
思えば耐えられよう

いつか、飛び立つ日がくると信じ
我が背に空が広がる春を待とう

Wednesday, April 27, 2011

「 」 or 「 」





To live, do I eat?
or
To eat, do I live?


Why I stay still here in Tokyo?
or
Why do I want to leave Tokyo?



3.11から4週間が経とうとしていた時のこと、日付変わって誕生日を迎える数十分前に
大きく揺れた余震でフラッシュバック。こんなに不安で緊張した長い一カ月はなかった。
非常時だから、日常を保とうとするのか?

頑なに何かにしがみつき、倒れまいと気を張っていた。がんばってた。
脱ステロイドのために断食した後だったから、ちょっとハイだったんだ。
少し痩せてすっきりもしていたし、調子に乗ってた。
無理してでも調子に乗ってないとやってられなかったんだ。

しかし、断食後の体重と非日常なハイというのは続くわけがない。
急激に減った体重がリバウンドするように、ハイもいずれダウンする。
揺りもどされて当然だ。しかも、人生始まって以来の非常事態。

不安と緊張でバランスをとっていたタイトロープはやっぱり切れた。
で、命綱はギリギリのところで宙ぶらりん。

風が吹くまま、ぶらぶらと何かにぶらさがりながら、なんとか生きてる、
いや、生かされてる宙ぶらりんのこここそが東京なんじゃないか?
上っ面ばかり着飾ってばかで、地がどこだかわからないから、揺れると大騒ぎだ。

そんなんで、自分は世界の中心だと勘違いして今まで生きてきたんだ。
もう、もとには戻れないんだから、もう、折り返してしまったんだから、
そろそろ、気がつくときだろう。


悪化するのはあっという間で、それを治すのには何倍もの時間がかかるのがアトピーの特徴。
で、今は脱ステロイド中ということもあって、揺りもどされるまま酷い状態になってしまった。
痒みは痛みに変わり、身動きできなくなり、焦り、いらだちの悪循環にそうとう落ちた。

やっと気持ちを立て直し、風に吹かれても痛い肌を覆い隠して、帽子にマスクにサングラスで
1カ月ぶりに電車に30分以上乗り、区外の漢方医院まで診察に出かけたのが昨日。

どうやら、最後の診察だったようで、私と同年代で同じアトピーでもある漢方医さんと
問診しながら、世間話もしてきた。話題は水の話になった。
東京の水道水がどのように人の身体に影響を及ぼすのか?アトピーに影響があるのか?
医者にもわからないのだそうである。
で、個人的に先生は(放射能対策は)どうしてるのか?と聞いてみたら、
特別なことはしていないそうである。それどころか、漢方の煎じ薬はミネラルウォーターでは、
薬効成分が抽出されにくいんだそうで、自分の薬は普段の水道水で煎じていると言っていた。

薬効成分が高い、ヨウ素とセシウム入りの水道水で煎じる漢方薬 

or 

薬効成分が弱い、ミネラルウォーターで煎じる漢方薬


昨日の私のチョイスは、この先(明日)何かしら影響が出るかもしれない放射性物質よりも
今日生きるために、この炎症を抑えて治しておきたいアトピーの症状のために、
無駄な抵抗とはわかっていながらも(笑)浄水器と竹炭でろ過した東京の水道水で
(おそらくヨウ素とセシウムが入った)煎じ薬を煮出して飲んだ。

保険は利かない漢方薬、せめて、身体には効いてほしいの切実なう!






















Thursday, April 21, 2011

My life as Atopy 3 巡礼 長い道のり

何か書かずにはいられないのだけれど、心も身体も日々のニュースに追いつけない。
余震に揺りもどされるように、アトピーの状態が悪くなった。
おかしな夢と寝汗が止まらない。生理周期も見事に乱れた。

生理が乱れたのは、放射能物質が風に乗って東京にも降ってきたとき
もう子供は諦めた、、と、身体が心に言い聞かせたからだろうか?
私はそれを身体の声だと思っていたがけど、もしかしたら、心が身体に
そう云い伝えたのかも知れない。自分で自分を暗示にかけたのか?
もう、子供を産むこともないのだから、多少の放射性物質による
内部被ばくも外部被ばくも恐れることはない、、と、この辛い現実を
なんとか乗り越えようとするために、心がそう判断して言い聞かせたんだろう。
生理が1週間ほど遅れて、その間にものすごく全ての体調が狂って悪化した。
まだ更年期を迎えるのは早すぎるだろうし、この生理の遅れは何かのサインだった気がする。
1週間遅れて、月が満ちるころに体重もパンパンに膨れ上がって、
なんとか生理はやってきてくれた。身体は中心軸が見失いながらも、
なんとか、バランスを取ろうと、今日も必死に生きてるようだ。

地震以降、こうして毎日生きていることに、
生かされていることに感謝していたし、人も地球も必ず再生する!と
信じてはいるものの、この状態で、いつも痛みを抱えて生きているのも、
正直けっこう辛い。泣き言もいいたくなる。鳴き叫びたくもなる。

91歳になる大伯母が転んで股関節を骨折し入院して10日が過ぎた。
元気だけが取り柄と言われていた大伯母だったが、手術後の具合がよくなくて
(というか、当たり前だよな、全身麻酔して4時間にも及ぶ手術をしたんだから)
当初の予定の、手術後翌日からのリハビリなんてできるわけがなく、
術後ずっとベッドの上で身動きとれないまま、お腹がつまらせて(便秘)発熱してしまったようだ。

全身麻酔で4時間にも及ぶ手術。翌日からリハビリなんてできるわけないじゃないか?
術後、面会に行った家族は皆、大伯母がリハビリして元通り歩けるようになるとは
残念ながら思えなかった。なんとか退院してもよくて、トイレになんとかいけるぐらいではなかろうか?
寝たきりになってしまう日も近いのではないか?歩けるようになる希望も捨てていないが、
91歳で骨がスカスカにもろくなっている大伯母の現実を見て、両親はすぐに介護等の手続きを始めた。
この介護認定等、福祉制度を受けるためにも、書類を集めて申請し認定されるまでには
1カ月以上かかるのだ。この手続きは退院してからでは遅いのだ。まったくこの国と言ったら...

昨年の秋、私も2度入院をした。2度とも病室は見事に高齢者部屋だった。
寝たきりでも元気な方もいれば、管をつながれ延命されている方も少なくなかった。

秋から春へ 私もまたひとつ歳を重ねて、死へ一歩近づいてる。
老人ホームのようなこの家で、生きることと同時に死ぬことが
よりリアルに近くにあることを知った今日である。


東京の水道水が汚染され、乳幼児には飲ませられない基準になったと、
ミネラルウォーターの買い占め、売り切れで、大騒ぎしたことでさえ遠い日のことようだ。
あの頃は大変だったね、とそう言えるなら、それでいい。

世田谷区から乳幼児のいる家庭へのペットボトル水を配給するというニュースメールが
2度ほど届いた。それからはもうそんな知らせはない。
それからチェックするようになった東京都水道局の発表する
検査結果にならぶ文字は「未検出」。この結果に半信半疑ながらも、
だから世田谷区の水の配給が終わったのか????

ならば、大人は水を飲もうじゃないか?傷のある肌でシャワーを浴びようじゃないか?

現実はまたひっくり返っていた。

水道水に含まれる放射性物質の基準数値が引き上げられただけだった。

ほんとうの敵は、放射性物質ではなく(政府の)人間なのか?

赤く月が昇ったという話も時の流れで読んだ。そんな月とともに、私の生理もなんとか終わり
また次の卵を産もうとしている、こんなときに?いや、こんなときだからこそなのかも知れない。
私の身体はほんとうは未だ子供をほしいと願っているようでもある。
こればかりは私一人ではどうにもならないけれど、そんな身体を最後まで大事にしてあげたい。
それが、今の私の生きる希望なのかもしれないし、だから、こんなに揺れてるのかもしれない。



         近所で捨てられて以来、すっかり庭に住みついてる、ご存知しろちゃん。
         ちょっとずーずーしくなってきたけど(笑)毎朝、彼女の顔見るとほっとする。

Monday, April 11, 2011

Friday, April 8, 2011

Happy Re:Birthday Morning.

「いただきます」という言葉は、

あなたの命をいただくということ。

Thank you!!




Thursday, April 7, 2011

水と甘夏の日々2 春の苦味




山梨県の白州町に暮らしていたとき、春の始まりのこの季節は種まきの季節でもあるが、
秋に収穫して保存しておいた野菜などがなくなり、今日食べる野菜が少なくなるってくるので
台所を与る女性陣たちはかごを持って、野山にでかけ食べられる野草を摘みに出かけた。
ヨモギ、セリ、たんぽぽの葉、湧水に群生するワイルドクレソン、
種が飛ばされて偶然育ったアスパラガスを見つけた時はほんとに小躍りした(笑)

セリには水場に生える水ゼリと野に生えて黄色い花を咲かせる野ゼリとあるが、
野ゼリは食べられないので、田端などの水辺にある水セリを探して摘んだ。
サラダやおひたし、みそ汁の具、煮物の彩りにとよく食べた。

野草は口に入るまでにそれなりの下処理をしなければならない。
水ゼリも野生のクレソンも、根についた泥をよく落とすのに時間がかかった。
だから、毎日食べる分しか摘まなかった。たくさん摘んでも、泥を洗い落とすのに
たくさんの水と時間を使うし、摘んだ日に食べないと美味しさは半減してしまうからだ。

畑でとれる野菜や豆、米もそうだが、野草のように天と地から頂く自然の恵みには、
お金はいらないが、調理されて人の口に入るまでには、きちんと手順をふまなくては
ならないし、手間暇がかかる。午前中に摘んだ野草が食卓にあがるのは夜だ。
山の恵みの山菜やタケノコはもっと時間がかかる、洗って茹でて灰汁を抜いて初めて
それが植物から食物になるのだ。だからこそ美味しいのだけれど、その手順はひとつも省けない。
(掘りたてのタケノコは稀に生でそのまま食べられます。)

今ではセリもクレソンもほんのスーパーの野菜売り場で、
花束みたいにセロファンにくるまれたものにしか出会いなくなってしまったけど、
白州の湧水に群生する野生のクレソンを初めて見つけたときも、
秘密の聖地に足を踏み込んだような気持ちになったものだ。
それまでの私の知ってるクレソンといえば、ハンバーグやステーキなどの
肉料理の端っこにう添えられてる、緑色の草ぐらいなものだったから。

思い出話になってしまいそうなので、話を今にもどそう。
山梨白州町の旅は今から18-19年前のことだからね。

東京、都心の桜が突然、満開になったのが、昨日2011年4月6日(水)
世田谷の桜は満開というほどでもなかったけど、5分-7分ぐらいは咲いていた。
昨日は桜だけでなく、椿、こぶし、木瓜、道端のスミレ、花という花すべてが咲いてた。
そして、今日は2011年4月7日(木)花曇りで明けた朝、
どうやら明日からは雨雲が広がり、週末にはまた放射性物質を含んだ雨が降るらしい...orz。
あぁ、春のこの時期の雨は花散らしの雨ではなく、花がより大きく咲くための恵みの雨だったのに
放射能が...(以下悲しくなるので割愛する)

ということで、また今日のうちにヨウ素やセシウムが検出されていないらしい?
東京の(いちおう浄水器を通す)水道水で、残り6つとなった水俣から届いた今年最後の甘夏を、
人生の折り返す前、最後の日に甘い甘い砂糖漬けピール(2度目の挑戦!)にして、
40年分のビタースイートを封じ込め2011年の春を忘れないために、保存しておこうと思う。

    ↑これは一昨日試しに初めて作ってみた甘夏ピール。
           母の持っていた昭和のジャムと保存食の本のレシピを
           参考に作ってみた。一齧りすると気が遠くなるほどの
           刺激的な甘さにくじけそうになったのでリベンジ!
今日は刺激的で官能的でも控えめで奥ゆかしく
  酸いも甘いも知り尽くした大人の味を目指すわ!

Wednesday, April 6, 2011

TULIP WATER 3 水と甘夏の日々



            写真は↑甘夏をトッピングした
            バナナとアボカドのロゥチョコムース。
                          
                
あっという間に4月の新月も過ぎ、地震からもうすぐ4週間が経とうとしている。
そして、とうとう、その水は海にまで流れ出してしまった。

その後、東京の水道水はどうなんだろう?
ヨウ素やセシウムなどが検出されなくなったとも言われているが、雨が降ればまた検出されるだろう。
蛇口から風から、そして海から放射能物質が流れてくることを
常に念頭に置かなければならなくなってしまったのだ。

我が家に水俣から届いた甘夏は、頭じゃなくて、食べるまで玄関先に置いておいた。
この黄色い果実たちが家の中をいい香りにして癒してくれている。
なんてすがすがしい香りだろう!

こんなときに(東京の水道水にヨウ素が検出されたとき)マーマーレードを仕込むなんて?と、
少しためらったが、水俣の皆さんが大変な思いでここまでやってこられて、こんなにピカピカな
果実を育てて、それがめぐりめぐって我が家に届いたのだ、私はこの甘夏たちを無駄にすることなく
美味しいマーマーレードに仕上げなくては!?と、まだ余震が続き、自分が揺れているのか?
大地が揺れているのか?自分の中心軸を失ったままの状態だったが、今、私にできることを
しよう!と、甘夏マーマーレードを仕込むことにした。
果実と砂糖だけで作るジャムなら、問題はなかった。
そう、マーマーレードは皮を使うのだ、だから美味しいしジャムではなく
マーマレードというそうだけど、皮を仕込むには、大量の水がいるのだ。
マーマレードはそれで味が決まってしまうといってもいいぐらい、
皮の丁寧な下ごしらえがポイントなのだ。

マーマレード作りは、まず果実を丸ごとよく洗い、
皮と身と身が入っている袋(甘皮)に分ける。
身は袋から出してスジなどもきれいに取る。
身が入っている袋も(フードプロセッサーなどで)細かく刻んで使う。
これはマーマレードを煮る時、仕上げのペクチンになるのだ。

皮はスライスして、水から茹でて沸騰後も20分ぐらい茹で続ける。
20分下茹でしたものを、ざるに上げて洗うように水にさらすこと5分ぐらい。
そしたら、よく絞って水気を切る。私のマーマレード師匠のレシピでは、
5分さらして絞り、また5分さらして絞り、、と、この作業を3回繰り返す。
どれだけの水が必要だろうか?皮だけで約1.5kgある分がたっぷりと
浸るほどの水と、洗い流してさらす水、、何リットルの水が必要だろうか??

私がマーマレード作るのを一瞬ためらった理由はそこにあった。
もちろん、ミネラルウォーターなど使えないし家に備蓄していない。
そのまま食べるわけではないにしても、乳幼児に飲ませられないような水で
この甘夏を仕込む気にはなれなかった。

地震後、我が家は母が予ねてから買いそろえてあった非常用グッズの数々に驚いた(笑)
水もトイレや庭先、ベランダに非常用としてペットボトルに何本も蓄えてあったのだ。
さすがにトイレや庭先の水は..だったが、台所にも数ヶ月前に汲んで保存してあった
2リットルのペットボトルに入った非常用水があった。
そうだ!今を非常時と言わないで、いつを非常時というのだ!
とはいっても、非常用の水で自家製マーマーレードを作れるなんて、
なんとしあわせなことだろうか?その間にも何度も余震はあったし、福島原発はさらに
最悪な状況へとむかっていたんだけれど、

『たとえ、地球が明日滅びようとも、君は今日りんごの種を植えるだろう』

寺山さんの映画「書を捨てよ 町に出よう」 マイクの映画「鉄コン筋クリート」に出てくる、
このポーランドの詩人ゲオルギウの詩の一片が頭に浮かび、

たとえ、地球が明日滅びようとも、私は今日マーマーレードを仕込むわ!
と、心に決め、瓶を熱湯消毒し脱気をすれば半年は常温でも半年は保存できる
このマーマーレードを、未来のある子供たちにこそ食べてもらいたい!と、そんな思いで
汚染された水を使わず、地震前に汲まれていた東京の水道水、もう戻れないきれいな
過去の水道水でこの皮の下準備をすることにした。http://1.bp.blogspot.com/-XD7dt8WZ_2k/TZVqzfnEpfI/AAAAAAAAAO4/zy9Qm7sMgZ0/s1600/%25E3%2583%259E%25E3%2583%25BC%25E3%2583%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589%25E6%25B2%25B3%25E4%25B8%258B%25E3%2582%2586%25E3%2581%25A7.JPG

再掲↑スライスした皮をこれから下茹でするところ。

                

Friday, April 1, 2011

TULIP WATER 2

水俣の生産者グループ その名も “ きばる ” さんから
1か月以上前に今年もマーマーレードを作るために
注文しておいた甘夏が10kg届いた。地震から2週間後のことだった。

残念ながら東京の水からもヨウ素が検出される。
乳幼児に水道水を飲ませないように通告が出てしまった。
              
米の次はミネラルウォーターが店からなくなった。
乳幼児がいる家庭には区からペットボトル入りの水が配給されるという非常事態が起こった。
水を配給されるのは?1歳未満だけなのか?
幼児は?母乳を飲ませてる母親は??
              
予感というのは、自分の意志や想念とはちがうところからやってくる。
毎朝ぼーっとシャワーを浴びながら、『この水は...いつまで大丈夫なのだろうか?
いつまでこうしてシャワーを浴びていられるのだろうか?
 
寝ぼけて見ていた夢の続きが、正夢になってしまった。