Thursday, April 21, 2011

My life as Atopy 3 巡礼 長い道のり

何か書かずにはいられないのだけれど、心も身体も日々のニュースに追いつけない。
余震に揺りもどされるように、アトピーの状態が悪くなった。
おかしな夢と寝汗が止まらない。生理周期も見事に乱れた。

生理が乱れたのは、放射能物質が風に乗って東京にも降ってきたとき
もう子供は諦めた、、と、身体が心に言い聞かせたからだろうか?
私はそれを身体の声だと思っていたがけど、もしかしたら、心が身体に
そう云い伝えたのかも知れない。自分で自分を暗示にかけたのか?
もう、子供を産むこともないのだから、多少の放射性物質による
内部被ばくも外部被ばくも恐れることはない、、と、この辛い現実を
なんとか乗り越えようとするために、心がそう判断して言い聞かせたんだろう。
生理が1週間ほど遅れて、その間にものすごく全ての体調が狂って悪化した。
まだ更年期を迎えるのは早すぎるだろうし、この生理の遅れは何かのサインだった気がする。
1週間遅れて、月が満ちるころに体重もパンパンに膨れ上がって、
なんとか生理はやってきてくれた。身体は中心軸が見失いながらも、
なんとか、バランスを取ろうと、今日も必死に生きてるようだ。

地震以降、こうして毎日生きていることに、
生かされていることに感謝していたし、人も地球も必ず再生する!と
信じてはいるものの、この状態で、いつも痛みを抱えて生きているのも、
正直けっこう辛い。泣き言もいいたくなる。鳴き叫びたくもなる。

91歳になる大伯母が転んで股関節を骨折し入院して10日が過ぎた。
元気だけが取り柄と言われていた大伯母だったが、手術後の具合がよくなくて
(というか、当たり前だよな、全身麻酔して4時間にも及ぶ手術をしたんだから)
当初の予定の、手術後翌日からのリハビリなんてできるわけがなく、
術後ずっとベッドの上で身動きとれないまま、お腹がつまらせて(便秘)発熱してしまったようだ。

全身麻酔で4時間にも及ぶ手術。翌日からリハビリなんてできるわけないじゃないか?
術後、面会に行った家族は皆、大伯母がリハビリして元通り歩けるようになるとは
残念ながら思えなかった。なんとか退院してもよくて、トイレになんとかいけるぐらいではなかろうか?
寝たきりになってしまう日も近いのではないか?歩けるようになる希望も捨てていないが、
91歳で骨がスカスカにもろくなっている大伯母の現実を見て、両親はすぐに介護等の手続きを始めた。
この介護認定等、福祉制度を受けるためにも、書類を集めて申請し認定されるまでには
1カ月以上かかるのだ。この手続きは退院してからでは遅いのだ。まったくこの国と言ったら...

昨年の秋、私も2度入院をした。2度とも病室は見事に高齢者部屋だった。
寝たきりでも元気な方もいれば、管をつながれ延命されている方も少なくなかった。

秋から春へ 私もまたひとつ歳を重ねて、死へ一歩近づいてる。
老人ホームのようなこの家で、生きることと同時に死ぬことが
よりリアルに近くにあることを知った今日である。


東京の水道水が汚染され、乳幼児には飲ませられない基準になったと、
ミネラルウォーターの買い占め、売り切れで、大騒ぎしたことでさえ遠い日のことようだ。
あの頃は大変だったね、とそう言えるなら、それでいい。

世田谷区から乳幼児のいる家庭へのペットボトル水を配給するというニュースメールが
2度ほど届いた。それからはもうそんな知らせはない。
それからチェックするようになった東京都水道局の発表する
検査結果にならぶ文字は「未検出」。この結果に半信半疑ながらも、
だから世田谷区の水の配給が終わったのか????

ならば、大人は水を飲もうじゃないか?傷のある肌でシャワーを浴びようじゃないか?

現実はまたひっくり返っていた。

水道水に含まれる放射性物質の基準数値が引き上げられただけだった。

ほんとうの敵は、放射性物質ではなく(政府の)人間なのか?

赤く月が昇ったという話も時の流れで読んだ。そんな月とともに、私の生理もなんとか終わり
また次の卵を産もうとしている、こんなときに?いや、こんなときだからこそなのかも知れない。
私の身体はほんとうは未だ子供をほしいと願っているようでもある。
こればかりは私一人ではどうにもならないけれど、そんな身体を最後まで大事にしてあげたい。
それが、今の私の生きる希望なのかもしれないし、だから、こんなに揺れてるのかもしれない。



         近所で捨てられて以来、すっかり庭に住みついてる、ご存知しろちゃん。
         ちょっとずーずーしくなってきたけど(笑)毎朝、彼女の顔見るとほっとする。

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